産地紹介

この海の味を届けたい

日本有数の牡蠣の産地

-南三陸-

2011年。南三陸の牡蠣養殖は大きな転機を迎えます。

それまで、南三陸の牡蠣は宮城県内で最悪の評価を受けていました。貝は小さく、身入りも悪い。当然牡蠣一つあたりの値段も安くしか買い取ってもらえません。安くしか売れない分たくさんの牡蠣を生産しようと、漁師たちはさらに養殖筏を増やしていきます。

ですが、牡蠣は海のプランクトンを蓄積して大きくなる生き物。筏の数を増やせば増やすほど、ひとつの牡蠣が摂取できるプランクトンの量が減り、思惑に反して牡蠣の生育はさらに悪くなっていきました。生育が悪いとさらに筏を増やし、結果としてさらに海は痩せ細っていく。完全な負のスパイラルに陥っていると生産者たち自身も気づいてはいましたが、なかなか変化を起こすことができずにいました。

そんな南三陸を東日本大震災が襲います。
志津川湾に設置されていた養殖筏はすべて流され、南三陸の養殖業は根こそぎゼロからリスタートをすることになりました。

南三陸 戸倉地区の牡蠣養殖を復興するにあたり、生産者たちはひとつの大きな決断をします。それは養殖筏の数を3分の1に減らすこと。筏と筏の間隔をあけ、プランクトンが行き渡るようにすることで牡蠣の品質はきっと上がるはずだと考えたからでした。これは志津川湾で養殖をしているすべての生産者が不公平なく筏を減らさなければ意味がない施策です。もちろん、反対する生産者もいましたが、「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る」と趣旨を伝えて説得し、最後には志津川湾で牡蠣養殖をおこなうすべての生産者が一律に筏を減らすことになりました。

筏を減らすことは当初の目論見以上に大きな変化を起こしました。これまで生育に3年かかっていた牡蠣は1年で出荷できるサイズまで成長し、貝の身入りは多く味の評価も大きく向上しました。さらに震災以前は朝早くから夜遅くまで働いていた生産者たちの労働時間も大きく減少しました。筏の数が減った分、作業量を大きく減らすことができたのです。

震災から10年が経過した今、南三陸の牡蠣は宮城県内でもトップクラスの評価を受けるようになりました。2020年代に入り、持続可能な社会の在り方が問われる時代になりました。そんな今から振り返ると、「人と海とがいかに共存するか」を考え、実際に行動に移した南三陸の生産者たちが、いかに鋭い視点とパワフルな行動力を持っていたのかと驚かされませます。南三陸の生産者たちは新しいチャレンジに対しとても寛容です。「やってみて、上手くいかなかったら元に戻せばいい」生産者たちから異口同音に聞かれるこの言葉に、南三陸の可能性が詰まっています。

– 生産者紹介 –

戸倉地区

後藤清広さん

戸倉出張所の牡蠣生産部会長として南三陸の牡蠣養殖の再生に尽力。「やってみて上手くいかなかったら元に戻せばいいから」と、漁協全体で筏を3分の1に減らし志津川湾全体での資源管理にチャレンジ。今ではベテラン生産者として自分が若手の背中を押す存在に。

後藤伸弥さん

清広さんの息子さん。新しいことにチャレンジする清広さんの背中を見て、春の牡蠣や殻付き牡蠣など自らも新しい取り組みにチャレンジ。南三陸の食材を世に広めようと牡蠣以外の生産者とも協力しながら積極的にPRをおこなっている。

後藤新太郎さん

戸倉の若手生産者。牡蠣養殖をおこなう上で大切にしているのは向上心。自然相手に目の前の作業をこなすだけになりがちな牡蠣養殖で、日々の少しずつの向上心の積み重ねが牡蠣を美味しく育てることに繋がると筏の清掃や漁場の整備など基本を大切に取り組んでいます。